プロフィール




僕は、雪国の


ある小さな町に生まれました。



父・母・祖父・祖母・妹2人と


僕の7人家族でした。




父と母の共働きでしたが


雪が2〜3mも積もる


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豪雪地帯のその町では、



父の仕事は、冬の間は


出来ないこともあって



ぎりぎり、何とか、生活している


といった感じでした。






でも、僕は、幸せでした。


3人兄妹は、歳が近く、


一緒に遊ぶことが出来ましたし、




優しい祖父は、家の周りに


たくさんの花の種をまいてくれて


春になると、いっせいに花が咲き、


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蝶ちょやトンボが


たくさん集まってきて、



近所の人なんかも、


きれいだねーって


ほめてくれました。






冬になると、雪が降って、


一面真っ白、



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花どころか


半年間は土すら


見えなくなるのですが、







ちゃあんと


いいことが


ありました。






雪がたくさん降り積もって、


歩くのも大変なくらいのそんな日に



学校から帰ってくると・・・・










雪だるまがあるのです。




腰の痛いじいちゃんが



孫の笑顔見たさに


半日がかりで作った力作です。




妹たちも


おおはしゃぎ



うれしかった・・・




それを見ているじいちゃんも


嬉しそうに


微笑んでいました。



じいちゃんの笑顔を


見ていると


僕たちは安心でした。



幼いころは、


それでよかったのですが、



だんだん年齢が進むにつれ



やっぱり、


わが家の収入が


少ないせいで



いろいろと、


いやなことも


経験するようになりました。







僕が小学5年生のとき、


母が乳がんになりました。





僕たち3人は、心配で心配で


たまらない気持ちでしたが




誰も言葉にして、


それを声には


しませんでした。




「お母さん、死んでしまったらどうしよう」



とは、



でも、いつも一緒にいる


3人でしたから




お互いの、顔を見るだけで


その思いは、伝わってくるのでした。



そんなこと、声に出して言ったら


ほんとに、なってしまうんじゃないか。


ほんとに死んでしまうんじゃないか




だから、そのことは


絶対に口にはしなかったのです。




幸運なことに、手術は成功して


命を助けてもらうことができました。





そうです。


母の左のおっぱいが


"ぺったんこ"になるのと引き換えに


母の命は助かったのです。





よかったー


ほんとによかったー




よかったー


あー よかったー





僕は、生まれて初めて


嬉しいのに涙が出てきました。




大晦日にレコード大賞


とった人なんかが



なんで泣くのか


不思議だった僕も



このとき、初めて、


嬉しくても、


涙が出てくることを


知りました。




ですが、実は、



それからが


大変なのでした。




手術は成功したものの


再発する可能性があるので


放射線治療というのを


受け続けなければならないのです。




放射線治療というのは


手術したところから、


目に見えなくて


取りこぼした、


小さながん細胞が


全身に転移していくのを


防ぐために


レントゲンみたいな


大きな機械で、


傷口に放射線を


かけるのですが、





その治療をすると、


母の、ぺったんこの左の胸は


火傷したみたいに、赤くただれて


すごく、痛々しそうなのでした。



もうひとつ、


大変なことがありました



それは、


手術で乳房と一緒に


腕を動かす筋肉も


切り取ってしまったので。




他の筋肉で腕を


動かせるようになるまで、



きつい、


リハビリテーションを


受け続けなければ


ならないのです。



でも、



母は、そのリハビリテーションを


途中でやめてしまいます。


それが、きついトレーニング


だったからではありません。





それを受けるには、


仕事を休まなければ


ならなかったからです。



母が、働かなければ


家計が成り立たなかったのです。





母の仕事は、


デパートの事務員でした。




左手が少々動かなくても、


仕事が出来ると


・・・・・。





母の口癖は


「よかったよ、左の乳がんで、ラッキー」


でした。





そんなときでも、底抜けに明るい


そのパワーは、どこから


生まれてくるのでしょう。





左手が動くようになるのと


家族みんなが生きるのと


どっちが大事?





母は、


家族の生活を選択しました。


おかげで、





母の左手は、一生動かないままに


なってしまったのです。





僕は、どうしても


アルバイトがしたくなりました。



でも、まだ、若すぎて


使ってくれる人がいませんでした。





働きたいと母に言うと、


あんたの仕事は、


今は、勉強なんだよ





お母さんも、一生懸命働くから


あんたも一生懸命働きなさい。





あんたは、勉強することが


働くことなんだから。


学校で、誰にも負けないくらい、


働いてきなさい。





あんたの給料は通知表


全部、3重丸、もらって来なさい。





僕は、どうしても、


全部、3重丸とりたくて


必死になりました。




でも、苦手な科目があったし


体育の鉄棒やマット運動も


うまくできなかったりで




全部、3重丸っていうのは


かなりきびしかったです




でも、僕は必死でした




母さんが一生懸命なのに


僕がこんなんではいけないと


思ったからです




しかし




全部、3重丸っていうのは


なかなか実現できませんでした




これではだめだ


これではだめだ




なんとしても


なんとしても




そんな思いで


がんばっていたら・・・




それから2年後の6年生最後の通知表が


やっと、やっとオール3重丸になって、


ぎりぎりセーフで


母に、僕の給料(通知表)を


手渡すことができました。





僕が、中学生になると


待望のアルバイトが舞い込んできます。


家具の配達の仕事です。





母の、勤めているデパートで


売れた家具を大人の人と僕の2人で、


トラックに積んで配達に行くのです。





本当は、力仕事ですから


大人の人を雇ったほうが


いいに決まっています。


でも、どうしても働きたいという、


僕の強い気持ちが、


家具部の部長さんに伝わり、


雇ってもらえることになるのです。





時給は450円でした。


一日8時間汗だくで働いて3600円でしたが、




働いた後の充実感ときたら


たまらなく嬉しかったのを覚えています。






家具の配達は、学校が休みの


日曜日しか出来ないので


もうひとつアルバイトをはじめました。


新聞配達でした。






家から1.5km位離れたところに、


新聞屋さんがありました。


アルバイト募集の張り紙があったので、


申し込んだら、


すぐに、使ってもらえることになりました。





翌朝から、


自転車に100件分くらいの


新聞を積んで、


家の近所に配達することになりました。





夏の間はいいのですが、


冬になると、自転車に乗れないくらい


雪が降った朝は、


家の前の雪かきだけでも、


ひと仕事なのに





そのあとに、1.5km位離れた


新聞屋さんまで、ボップという、


子供が遊びで使うプラスチック製の


そりを引きずって往復し、



そのあとも、


歩いて配達しなければなりません。





配達時間が遅いと苦情がきたり、


学校に遅刻しそうになったりと


そういう日は、大変でした。



1ヶ月にもらった給料は6000円でした。




でも今となったら、


いい思い出です。


そして、貴重な財産を


得ることになるのです。




この財産は、何百億円もらっても


絶対誰にも売りません。





なぜかというと、


その財産とは




苦労されている人の気持ちを


わかってあげられる”心”




だからです。





こんなすばらしいもの


手放すわけには行きません。





でも安心です。




どんな大泥棒でも盗むことが


出来ないものですから。





そして、


そんな僕も、高校を


卒業する歳になるのですが、




我が家の家計のことを心配して、





まわり中が僕の大学進学には反対でした。


普通だったら、就職を考えなければ


ならない状況です。





ですが、


僕には、この状況から


抜け出すことが出来る武器が


備わっていました。





それは、


アルバイトでためた少しの貯金と、


アルバイトをし続けてきたという


経験と実績


そして、


そういうことが出来た自分に対する


 『自信』です。





僕のような状況の他の受験生は、


昼間働いて夜間の大学(2部)へ


通おうとするのが一般的でしたが





僕は、普通の昼間の大学に通って、


夜間働くという方法を思いつきました。





まわりが何を言おうが、


僕にはうまくいく


自信がありました。





結局、僕は、大学生に


なることに成功します。



大学時代も4つのアルバイトを


掛け持ちしながら


24時間戦っていました。



学生時代は


全部あわせると


50種類ぐらいの仕事をしました。





経営がうまくいっているところもあれば、


あまり、そうとはいえないような


ところもありました。





そのおかげで、うまくいきそうな


仕事をかぎつける臭覚のようなものが


備わったようにも思えます。





そういうのも、今となれば、


貴重な財産です。





大学4年生の時


北海道の実家が火事になり、


その他いくつかの事情が重なって





僕は、大学に退学届けを出して、


中退するのですが、





当時、僕がアルバイトを


していたところのうちのひとつの塾に


そのまま就職することになって、


大卒並みの待遇で迎えられてしまうのです。





その恩に報いようと、


一生懸命働いていたら



いつのまにか、僕も


管理職になってしまいます。





でも、僕の後から、


○稲田大学とか、○○大学・大学院出身の


後輩社員も入ってきて、



正直、抜かれるかと思いました。





でも、黙って抜かれるのではなく、


自分なりにベストを尽くそうと思いました。


僕が思いついたのは、あの、


雪の中での新聞配達からヒントをえた


作戦でした。





塾の広告を自費でこっそり印刷して、


新聞配達の人たちが配達する時間に


ポストに入れて回るのです。





なぜ、その時間なのかというと、


普通の時間にポストに入れたのでは



他のチラシと同様に


迷惑がられてしまうのですが、



新聞配達と同時にすれば、


新聞の合間に差し込むことが出来るので、



新聞折込広告に


昇格することが出来るのです。





みんなが、退社してから、塾に残り、


1人で自費で買ったインクと紙を


印刷機にセットして、



広告を印刷しては、家に持って帰り、





翌朝早起きして


新聞配達ゲリラ作戦(笑)を、決行です。





そんなこんなしているうちに、


生徒が、徐々に増え始めていくのです。


そうです。僕の担当している教室が・・・





僕は、学歴が大学中退だったために、


そういうことでしか、太刀打ちできなかったので


仕方なくそういうことをしただけなのに、


なぜかそれが一番いい結果に


つながってしまって・・・・・、



僕は、もうひとつ上の管理職の肩書きを


もらうことになるのです。





ある生徒のお母さんと、


10年後くらいに再会して


後からわかった話ですが、





じつは、恥ずかしい話ですが、


子供が、塾に行きたいと言い出したときに


わが家の家計ではとても無理で、





でも、息子の気持ちを


何とかかなえたいと思いまして、


私が、毎朝牛乳配達のアルバイトをしているときに






ジャージ姿で帽子を深々とかぶって


広告をポストに入れながら走っている。


あなたををお見かけしたんです。





気になって、翌朝息子に早起きしてもらって、


あの人知ってるって聞いたら。





知ってるよ、僕が行きたい塾の教室長をしている


人だよ。すごい熱心に教えてくれて、土日なんかも


家までわざわざ来てくれたりするんだって・・・・・・





って言うではありませんか。




普通、そういう立場の人は、


そこまでやらなくたっていいはずなのに。


その熱心さに惹かれて、


息子をあなたのいる塾に通わせることにしたんですよ。





でも、あなたが、昼間のスーツ姿ではなくて、


ジャージ姿で帽子で顔を隠すようにしてらしたから


内緒にしておいてあげないとねーって


息子に言ったんです。





そうしたら、息子ったら


内緒だよ、内緒だよって言いながら


部活のみんなに話して回ってしまって。





それで、みんな、他の塾にいっていた子までさそって


お宅の塾に入ることになったんですよ。・・・・・・・・・







そういうことってあるんだなあ・・・・・・・





と、思いながら




当時の私を後押ししてくれた恩人(そのお母さん)に


深々と再敬礼したのを覚えています。





その生徒は、すごく真剣に授業を受ける子で


志望校に合格


その後


就職したかった


企業に採用されて


元気いっぱい


働いています。






真剣であれば、たのしいです。




真剣であれば、いい方法を思いつくものです。




真剣であれば、誰かが応援してくれます。




真剣であれば、いい結果がでます。




真剣であれば、ものすごく嬉しく感じます。




だからまた真剣にやろうと思えます。







僕は、真剣という状態が大好きです。








野球だって、




サッカーだって




オセロだって、




テレビゲームだって




真剣にやったほうが面白い






仕事だって




人生だって




真剣にやれば




野球やサッカーみたいに




面白くなりますから・・・・・・








イチローやメッシは、




もうすでに




家族全員が一生生活していけるどころか




孫子の代まで生活できるだけの


貯蓄があるはずなのに






なぜ、なおも真剣に


働き続けているのでしょう。






それは、きっと






真剣にやると




面白いからなのだと思います。








___________________________


子育てだってねー


真剣にやると


面白いもんなんだよ・・・・・・




母の言葉です




やっぱり


僕は


その


子供なんだなあーと




しみじみ思います。         


___________________________







子供のときからの夢を実現するには


サラリーマンでは無理なので


コツコツためた資金で



夢を追って


脱サラして




自営業をはじめました-



顧客が徐々に増え


めちゃめちゃうまく


いったんです ^O^/



が・・・





治療法がなかなか見つからない


難病になってしまいました。





家族や親友の


支えのおかげで



数年後・・・


病気を克服


するという


奇跡が起きたのですが・・・




そのときには


完全に事業を失っていました。





その後、



仕事を探して奔走し







やっとの思いで、単純作業の繰り返しの


肉体労働につくことができました。



その仕事というのは

同じ動作を、1日に、何百回・・・何千回・・・


毎日毎日、繰り返すものでした。



まるで、自分は籠の中のハムスター・・・


動物園のシロクマ・・・



みたいだ・・・・・・と感じました。




悲しくなる時もありましたが




他に仕事は、見つからないんだから仕方ない


生きているだけでも儲けもん・・・



職にありつけただけでも


ありがたいと思わなければ・・・・





と・・・自分に、無理やり

言い聞かせて・・・






粉塵で


鼻の穴が


真っ黒になって






夏は40℃を超え、




冬は外気温と


ほぼ同じになる





そんな職場で


働いていました・・・






このまま、死ぬまで



この単調な動作を毎日繰り返して


人生終わっちゃうのかなーと


思っていたのです・・・・





いたのですが・・・・








ある転機が、訪れ


多くの人の応援のおかげで・・・



      (本当に、いつも いつも・・・


      みんなの世話になりっぱなしです・・・)








新たな道が開け・・・・









お金の心配が全くいらない


子供のときのような



普通の幸せな日々を


取り戻すことが出来ました。





それだけでも、充分すぎるくらい


うれしいことだったのですが



生き生きした


生き方の人に


たくさん出会えるようになり



精神的にも生きがいや


幸せを感じられる




素敵な時間が


すごせるようになりました^^/





そろそろ


「真剣にのんびり」も


したくなってきたので ・・・ 笑





あちこち旅行にいったりしながら・・・





これまでお世話になった人に


感謝の心を伝える活動を           




していくことにしました。





そういうことを


しようとしたのは・・・









今の自分にとって     



それが一番幸せな     



気持ちになれること     



だからです。     





誰かのため、ということではなくて     






自分の幸せのためです。





お世話になった人はたくさんいて  



なかなか、終わりそうもないので・・・・・・  




この感謝を伝えるという、幸せな時間は


もうしばらく、続きそうです。








それが、すべて終わったなら・・・


仕事からは引退して
      正確に言うと・・・
       【自分がいなくても大丈夫なシステム】
       を完成させて・・・・・・






小さな美術館を建てて


そこに展示する絵を探しに





世界中を旅してまわる


人生を送ることにしました。




その美術館は


僕という人間が


生まれてこなかったら・・・




そして、母や父の子


として育てられなかったら・・・




素晴らしい


恩師に出会わなかったら・・・




かけがえのない


友と語り合わなかったら・・・




決して


そんな美術館には


ならなかった・・・・・・




僕が


この世に存在した証




そんな美術館に


なるでしょう。




美術館は


東京ディズニーランド


の近くに建てます。




いつか、僕の美術館で


あなたとお会いできる


ことがあるとしたら・・・・・・




展示されている絵の中で、


一番いいなと思った絵を




教えてくださいね。




・・・・・・・


・・・・・・・




これからの人生が


とてもたのしみです。。。


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posted by 幸AAA at 22:54 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする